1.巻頭言 インターネットの変化とはなにか JPNIC 理事 高橋 徹  1996年末から商用IXやgTLDに関する議論が続き、今さらのように学術ネットワ ークの時代から商用ネットの時代に大きく変わってきたことを自覚せざるを得ない日 々が続いた。とくに、gTLDを巡る論議のかまびすしさには、メーリングリストに入っ ていることが苦痛になるほどの思いがあった。この事態は、次々に大きな疑問を投げ かけてくる。インターネットが普及する速度の速さと、それが社会的に受け入れられ るだけの組織的制度的あるいは法的な整備が進む速さとの間にある大きなギャップに 、直面していることを示すのであろう。JPNICの法人化も、担当の人々のご苦労で成 り立ったが、その労苦を分かち合い、はげましあう人々は以外に少ないことを前号の アンケート結果に見た。これまでのインターネットにおけるボランティアの伝統に関 しても、それ自体を説明しなければ何も知らないという事態に遭遇する。  商用インターネットは確かに急激な発展を見ているが、インターネットの伝統は新 たな市場性の視点にさらされて、内的なモラルを失いつつある。あるいは、内的な緊 張をはらんだ倫理感が、市場性の論理の前に後退しつつある。そのことが私のいらだ ちの原因である。  1988年11月、ARPAnetのクラッシュ事件の翌週、私は始めてNSF(全米科学財 団)を訪問し、日本で用意されていたインターネットプロジェクトがNSFバックボー ンをトランジットしてよいという話を、担当ディレクターのDr. Stephen Wolffから聞いた。それがどんなにありがたかったことか。彼を含め、私は、インタ ーネットの基礎を作り発展させてきた人々の努力とそこで培われた品位あるカルチャ ーに対して、尊敬の念を失わないでいたいと考える。たとえば、ラフコンセンサス  アンド ランニングコード(Rough Consensus and Running Code)をインターネットの信条としてきた、その実態を尊重する。商用インターネッ トの時代に、前世紀(学術研究用インターネットの時代)のモラルがないといって嘆 くのではない。前世紀の人には品位があり、今の商用化の時代にそれが存在しないこ とを嘆くのではない。内発的な主体である自己が、他人に迷惑をかけてはならない、 ということを維持するために必要であり、それは時代を越えて存在すると主張したい 。  gTLD問題で、CIX協会は慎重な立場を選び、MoUにサインすることを進めなかった。 CIXのExective DirectorのBarbara Dooley とLas Vegasのインタロップで会ったとき、彼女はインターネットに必要なものは今やPoliti cs and Real worldであって、Rough Consensus and Running Codeは古いエンジニアたちの主張である、とまで言った。そして、JPNICを始め、日 本の組織がMoUにサインしたのは、十分な議論なしにDr. Jun Muraiが強力にプッシュしたからだろうと言った。Barbaraが言うには、ISOC, IANA, IAHCなどのどれもが、現在の国家体制をもたらしているUniversal Democracy つまり普遍的民主主義の手続きを踏んでいない。それらが依拠しているRough Consensus and Running Codeを変えていくことが今必要なのだと。  しかし、私は疑問に感じる。彼女の言うPolitics and Real worldこそ、 じつはRough Consensus and Running Codeを越える方法を未だに見いだしては いないのではないか? 答えはすぐやってはこない。これから永い激しい緊張の 時間を通じて、インターネットの変化を捉えなければならないと考える。